幸せになれる気がしない~幸せの鍵の見つけ方

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「幸せになれる気がしない」には理由がある

今でこそライフコンサルタント的なお仕事を通じて皆様に「幸せになる方法」みたいなことをアドバイスさせていただいてますけども、20代の頃はどうしようもなく全方位的に不幸日本代表みたいな毎日でした。

プロフィールにも書いておりますが、重度の病気と事件スレスレの家庭不和で八方ふさがりな日々。

毎日毎日来る日も来る日も遺書書いてたものです、死ぬタイミングばっか探してましたよ、ホント。

でもまぁ紆余曲折を超えて、今じゃ「幸せですねえ」と言えるようになりました。

で、今思えばなのですが、私が若い頃なぜあんなに不幸だと思っていたのか、辛かったのかを分析していくと、いろいろ見えてくるわけです。

そして、当時「幸せになれる気がしない」と嘆いていたのには理由があるな、と。

このページにたどり着かれた方にもきっとお役に立てると思いますのでどうぞ。

幸せになる鍵の見つけ方

「幸せになれる気がしない」

間違った「幸せモデル」を作っている

まず、幸せになれる気がしないのはなぜか、というと。

自分の努力でなにかしらイメージする「幸せ」に届くような気がしないからです。

ここには2つの要素があります。

1つ目が「幸せ」のイメージ。

もうひとつは「可能な努力かどうか」の部分です。

で、ひとつの「幸せのイメージ」ですが、どういうものを幸せだと思っているか、です。

先程からお話している若い頃の不幸MVPだった自分は、完全に間違った理想を幸せだと思っていました。

当時は病気と毒親との確執が最大の悩みだったのですが、要は、健康で美しい体と優しくて温かくて子供をまっすぐに愛してくれる母親、みたいなものを「幸せ」だと思ってたんですよね。

しかし、実際のところ。

自分が「あー結構自分幸せだな」と自覚し始めたのは、病気は治っていない時でしたし、今でも親は毒親のままなので、そこは無関係だな、と言えるわけです。

つまり、なんらかの状況が自分を幸せにするわけではないのだ、と。

状況がどうであれ、幸せだと自分が感じられるかどうかにかかってますねという話です。

「幸せな状況」が幸せを作るのではない。

「幸せだと感じられるマインド」が幸せを作るのだ。

で、どうしてもこの「幸せな状況のモデル」を追ってしまうと、いつまでもそうならないことに絶望してしまうわけですよ。

幸せモデルに近づけなければそりゃ不幸だって思いますもんね。

しかし、実際そこは無関係だったりするんで少しずつやめていこうという話です。

他の例も話します。

私の場合、毒親から、散々「こうならないと不幸になる」という話を聞かされて育ちました。

例えば学歴、例えば就職先、例えば容姿、例えば配偶者。

それだけでなく、彼女の意にそぐわない誰かを徹底的に攻撃するような言動も幼い頃から見てきたので、余計に恐怖心をあおられたのだと思います。

毒親ってのは往々にして子供を自分の考えで洗脳しようとするものなので、しつけの際に恐怖を同時に植え付けてくるのが絶妙に上手いわけです。

そんなわけで、私は大人になるまで毒親の言う理想通りにならなければ不幸であり価値のない人間になるのだ、と思い込んでいるフシがありました。

そして、どこからどう考えてもそうはなれない体だったので(当時は重度の難病を抱えておりましてとてもじゃないが一般的に言われる普通の社会生活はできなかった)そのために絶望しか考えられませんでしたよ、と。

でもコレっておかしいことですからね。

幸せのカタチはひとそれぞれじゃないですか。

別に親と正反対の人生を歩んだって本人が幸せだと思えれば正解でしょう。

そんなわけで、まず、幸せのモデルが間違ってるんじゃないか?ということを疑ってみていただきたいわけです。

あなたが今イメージしている「幸せの形」は果たして、あなたを幸せにするものなのかどうか。

状況として他人からいいなぁと思われたり、親から認められたりするようなものであって、個人的に誰からなんと言われようといい、と思えるものなのかどうか、です。

幸せモデルが「他者との比較」になっていないか

これもよくありますね。

誰か、なんだかすごく輝いているように見える人をみて、そうじゃない自分は不幸だなぁと思うようなものです。

コレも完全に間違い。

もし本気で嫉妬するとか羨ましいと思うのであれば、適切な努力行動をすればいい話だったりもしますが、どこかで「努力してもああはなれない」と思って絶望する、と。

コレは分析すると、他人の問題と自分の問題を混同しているところに原因があります。

アドラーの嫌われる勇気なんかにもありますな。

他者が幸せかどうかとあなたが幸せかどうかは全く別の問題なのに、同じカテゴリのように扱ってますねと、コレをやってしまうとなかなか幸せを感じられない。

比較が悪いわけではないです、人間ですから比較はするもんだ。

そうじゃなくて、比較して羨ましいと思うのであれば「自分の問題」として同じ状況になるような努力を着実に行動でやっていけばいいのです。

でも、努力行動をしない、というケースはまぁまぁよく見かけますね。

「どうしても比較してしまうんです」みたいなご相談も多いですが、比較してもいいのです。

問題はそこではなく、比較した上で特に努力はしない、の方なわけです。

そして不幸だとかツライとか感想だけで終わってしまうと。

やはりこんな感じだと幸せを感じにくくはなります。

非常に多くの方が努力すること自体が選択肢に入っていません。

自分ではムリだ、自分に努力はできないと思い込んでいるフシが見受けられます。

果たしてそうでしょうか。

どんな偉人であっても、大企業の経営者であっても皆、赤ちゃんから始めています。

生まれた時から偉人だったり経営者だったりする人などいません。

どこかのタイミングで努力を始め、それが実になっているにすぎません。

努力すること自体を選択肢から排除してしまうと、この3次元世界では基本的に何も起こらないのです。

実際の話を暴露すると「私は努力せずにこの結果を得ました」みたいなことを書いている本や広告は多いものです。

しかし、3次元世界の資本主義社会というシステム上、そのように「ラクに夢が叶う」と見せることでたくさんのお客さんを集客できるというやり方があるため、そこに乗っかっている人は多いのです。

騙されないようにしましょう。

幸せになるための鍵を教えます

さて、幸せになるための方法ですが、これまた実に様々な方法がありまして、とりあえず最低限の部分だけサラっとお話しますと。

幸せになるための鍵は外には落ちていない

いやー、めちゃくちゃ普通のこと話してて申し訳ない感じですが、まぁちょっと聞いてください。

コレ、別に

ライフコンサルタント女

幸せはあなたの中にあるのよ

みたいなよくある感じなことを話したいわけでは決してなくてですね。

幸せになるための鍵を探してしまうこと自体に問題がある、という話です。

もっとわかりやすい表現にすると。

「幸せという言葉を意識するから幸せじゃないような気がする」

みたいな話になります。

非常に逆説的になりますが、幸せを求めると、幸せになりにくくなるよ、みたいな話です。

いやーキツいですね、打つ手なしか?となるかもしれませんが、当然ありますのでまぁ続きを。

幸福感は充実感である

あまり言及されていませんが、幸せや幸福感の正体とは、実は充実感だったりします。

お金がたくさんあるとか、いい家に住んでいるとか、素敵な恋人がいる、などの「状況」が幸せなのではなく、そこから得られる充実感の感覚のことを人は幸せと呼んでいるのです。

だから、お金がたくさんあるのに、いい家に住んでいるのに、かわいい彼女がいるのに、幸せだと思えない人がたくさんいるのです。

充実感は「状況」からだけでは得られません。

その状況に対して自分がどれほど関わったか、尽力したか、エネルギーを注いだか、その辺りが充実感という感覚につながっていきます。

幸せのカギはどこにあるのか、と言うとまさにここで、なんらかの状況のためにどれほど自分というリソースを使って実現にこぎつけたのかの部分にあります。

大多数の人はここに気づいていませんし、やはり闇雲にラクしてお金が欲しい、努力しないでいいものを手に入れたいと思うわけです。

そしてゲットできても思っていたより充実感がなく、幸せだと感じられない、そしてまた次の何かを探してしまう。

こんなスパイラルが非常に多いように見受けられます。

幸せのカギはあなたの中にある、とはこういう意味です。

しかし、多くの方はこれを読んでも

「そうは言っても、お金欲しいしラクに夢を叶えたい」

と思うのですが、それは現代社会が我々に押し付けている洗脳のひとつである、ということを頭のどこかに置いておくといいかもしれません。

実際、幸せだと断言している人たちは「自分というリソースを存分に使えていること」に対してそれを言っています。

モノや名誉を得たことに対してではないのです。

幸せになりたいと本気で思うのであれば、自分というリソースを使い切るには何をすればいいのか、という思考に切り替えてみてください。

自分というリソースの使い方を習いたい時は

私の主催するコミュニティでは自分というリソースの生かし方についてお教えしております。

ご興味があればぜひいらしてください。

コミュニティに関しての詳細は以下へ。

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