「本当の自分」がわからない~その自分探しは間違っている

本当の自分、とはなんでしょうか。

本当の自分で生きたい、みたいな言葉はよく聞かれますし、本当の自分に関しての話題もよく見られますが、実際非常に曖昧な話でもあったりします。

どう捉えればいいのかについてお話します。

本当の自分の見つけ方 アイザワワークス
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「本当の自分」とは何か?

まず、大前提として「本当の自分」とは何かを定義しておく必要があります。

これができていないと、端的に言って「誰かが言ったこと」が本当の自分のようになってしまい、それは「誰かが言った本当の自分」となってしまい、つまり本質からズレるからです。

宗教の教祖みたいなものをイメージして欲しいのですが、教祖のような人が「これが本当のあなただよ」と言えば、確かにそうだと納得する信者は多いでしょうね。

しかし、その宗教に入っていない外部の人から見たら「あれって本当の自分じゃなくて、教祖にとって都合のいい人格ってだけじゃんね?」みたいに見えてしまう。

誰かに言われたことを鵜呑みにする「本当の自分」とはこんな感じです。

その教祖がいなくなったり、違うことを言い出したりしたら、また本当の自分というものも変更しなきゃいけなくなりますね(笑)

ではどうすればいいのか。

目安として私もお話しますが、これからお話することはこのサイトではそういう立場を取っている、というだけの話であって、それを選択するかどうかは自己責任になる、と覚えておいてください。

そもそも「本当の自分」が確立されていくには、自己責任の考え方が非常に強く関係しているのです。

なぜ人は「本当の自分」を求めてしまうのか?

まずそもそも論として、なぜ人は「本当の自分」を求めてしまうのか、という点についてお話していきます。

これは、要は自身が置かれている環境に対して、なんらかの違和感や不適合を感じているから、というのが強く問われる部分かと思います。

違和感や不適合がないと、人はそもそも疑わないからです。

1+1=2と言われて、答えが2であることを問題視する人はそうそういないですね?

答えが2であることに違和感や不適合を感じないから問題視されないわけです。

つまり「本当の自分ってなんだ」「今の自分は本当の自分じゃない気がする」と疑い始めるということは、違和感や不適合に近いものを察知したから、というのがその大半の理由かと思います。

環境や関係性に対して、どうにもしっくりこない、据わりがよくない、そわそわする、納得いかない気がする、何かが違う、こういった感覚が「本当の自分」を求める思考につながっています。

多くの「本当の自分探し」をしている人に共通するズレは実はここにあります。

本当の自分みたいなものが見つかったらこの違和感が消えるのではないか、この不適合な感じがなくなるのではないか、と思っている部分ですね。

ここから考え方を変えていく必要があります。

環境や関係性は、自分のためには存在していない

さて、環境や関係性に対して違和感や不適合を感じるから本当の自分を探してしまう、という話をしましたが。

大前提として、我々が生きる世界というのは、その環境や関係性自体、自分のために存在しているわけではない、という当たり前の条件があります。

少し考えればわかることです。

例えば、学校。

皆さんも学校に通っているか、過去に通ったことがあると思いますが、学校はあなたのために設立されましたか?

違いますね、社会のためであったり、教育のためであったり、いずれにせよ誰か個人のために設立された学校などありません。

強いて言えば設立した創設者の思いみたいなものがあって、それを叶えるためにという意味では誰か個人のために、という言い方もできるかと思いますが、それにしてもやはり、あなた自身のためにではない。

あなたのために設立されたわけではないものが、完全に何もかもあなたにピッタリそぐう、というのは相当なラッキーであり、大半は何かが合わないか無理やり合わせていくか、妥協していくかのいずれかになるものです。

今は学校を例にしてお話しましたが、もっと大きい単位で言えば、社会そのものがまずこれですし、小さい単位で言えば家族なんかもコレです。

だから、人は、自分に合うような形にしていくために民主主義を主張したり、自分にあったパートナーを見つけて家族を自ら作っていこうとしたりするわけですが、要は、環境や関係性みたいなものは最初から自分のためにあるものなどない、というのが通常なのです。

まずここがわかっていないと、いつまでも自分本位な「本当の自分探し」をしてしまい、どこに行っても違和感を感じ続けてコレも違う、アレも違う、と放浪し続けることになるわけです。

我々、社会で生きる人間というのは、この世に産み落とされた瞬間から「自分のために存在しているわけではない環境」の中で生きる宿命にあります。

この宿命とどれだけ向き合って行動していけるかが、いわゆる自分探しのキモにあたります。

違和感を感じない人々

ちなみに、そこそこの割合で、環境や関係性に違和感を特に感じていない人もいます。

多くの人はこういった人を見て「あの人は本当の自分を生きている、羨ましい」と思ったり、自分だけが違和感を感じているように思ってニセモノの自分であるかのような気がしてしまう傾向がありますが。

これもいくつか説明できることがあって、まず、そういった人は最初から環境や関係性に対して違和感を感じないような教育をなされているケースがある、というもの。

これは、一種の洗脳に近いのですが(ここで言う洗脳とは悪い意味の洗脳ではありません。なんらかの考え方をインストールされている、という意味であり、我々のほとんどは何らかの意味で洗脳されている状態にあります)例えば先ほどの学校の例で言うと、学校という環境があなたの性格や性質にとって最高に合っている、という育てられ方をしていて、そこに安心感や安定感があった場合は、結構環境に溶け込むことが可能だったりしまうので、違和感を感じない傾向が強いですよね。

また、先ほども少し出ましたが、たまたま環境や関係性が自分自身になにもかも合っているという場合ももちろんあります。

その場合もやはり違和感や不適合を感じませんので、本当の自分ではないのではないか、みたいな疑問も感じにくいでしょうね。

要は、違和感を感じている方が間違っているとか、感じていない方が正しいとかの話ではなく、偶然とか運の産物だと思えばいいと思います。

「本当の自分」は環境や関係性で生まれるが

そんなわけで、本当の自分みたいなものは、違和感や不適合を感じない時に腑に落ちるため、つまり、自分を変えるというよりは、環境や関係性を変えていくと見つけることができたりもします。

よくあるケースで言うと、最高に自分を発揮できる環境や仕事に出会った時に「これが本当の私だ」みたいなことを思う人は多いもの。

しかし、ここで気づいて欲しいのは、環境や関係性を変えることはそこまでカンタンではない、というところです。

例えば先ほど例に挙げた学校で言えば、自分が学校と言う環境に合わないからと言って、じゃあ学校の規則や場所を変えられるのか、と言われたらソレはムリですよね。

学校自体を変えればいい、転校とか編入をすればいい、という考え方もありますが、気分次第でできるほどカンタンなことでもないです、手続きとかメンドウですしね(笑)

というわけで、学校に限らず、環境や関係性の方を変えるという選択肢は、確実でありながらそうラクな方法でもないという意味で実用的な考え方ではありません。

(一応注釈を入れておくと、環境や関係性をどんどん変えられるような人間となれば、ある意味最強ではあります。この世界ではそれを「権力」と呼びます。だから人は権力に憧れますし、権力を欲しがるわけです)

では、どうすれば「本当の自分だ」と思えるようになるのか。

環境や関係性を自分に合わせて行く方法

少々逆説的ですが、権力に依存せず、環境や関係性自体を自分に合わせて行く方法がないわけではありません。

自分の中にあるその意味付けや姿勢を変えていくという方法です。

例えば、今いる会社や仕事が違和感しかない、という場合。

自分の性格に合わないとか、ストレスが多いなどの理由で感じていることもあるかと思いますが、先ほどの話で言えばそれは、会社や仕事が自分のために存在しているわけではないため、そもそも合うわけがない、という考え方をまず思い出してもらいます。

その上で、会社や仕事を変えることが難しい場合は、その会社や仕事に関する特徴や自分の性格や性質を箇条書きにして並べてから、適合する部分を結びつける、みたいなことをしていきます。

会社や仕事の特徴

・事務職

・給料が悪くない

・自宅から近い

・上司がキライ

自分の性格や性質

・細かい作業が嫌いじゃない

・遠い場所に通いたくない

・お金のために仕事をしている

・人とコミュニケーションを取るのが苦手

これで、環境と自分の共通点だけ抜き出して、そこだけを重要視しつつ、後は切り捨てていく。

この場合で言うと、事務職と勤務地と給料に関してはそこまでかけ離れていませんが、人間関係の部分に違和感を感じているようですね。

何もかも完璧に自分に合う環境や関係性はない、ということを考慮すると、意外と合っている部分の方が多いことにも気づけますし、力を注ぐべき部分も見えてくる。

では、人間関係の部分は切り捨てて、できるだけそこに意識を使わず、淡々と接する姿勢にしていく、というとこだけ変えてみると。

上手な人であればこれだけで違和感は激減するものです。

当然、合っている部分より合わない部分の方が相殺できないほどはるかに大きなストレスを感じてしまうこともありますが、そうなると今度は上司を移動させるか、コントロールするか、自分が離れるかの選択が見えてきます。

「本当の自分」に近づいていくためには違和感をいかにして減らすかが重要になるため、ある程度こういった作業をする必要があるというのも知っておくといいかもしれません。

参考例:私の場合

一応例として私の場合のお話をしてみますが。

私は先ほどの例で言うと会社員であった頃は環境との適合箇所が不適合箇所より少なく、不適合箇所のストレス度合いが極端に大きかったので辞めました。

会社の場所や、勤務体制などが合わなかった。

当時は確かに「本当の自分がやりたいことではない」みたいな考え方が非常に強かったものです。

今の仕事で言うと例えば、細かい事務作業や発信などは好きではないですし、業務上やりたくないこともやらざるを得ないストレスもありますが、とはいえ自宅でできる仕事であるとか、時間の自由があることなどが適合として非常に大きいため、環境に対する違和感をさほど感じない状態にあります。

したがって、ニセモノの自分である、という意識があまりない、本当の自分を探すという欲求がない、という感じです。

「本当の自分」は自分で決めていいもの

少々方向性を変えてお話すると、必ずしも本当の自分でいることが正しい、というわけでもない、という見方もあります。

もちろん、本当の自分をコレだと思えて、その道を行くことができたらそれは最高でしょうが、先ほどお話した通り、環境や関係性に対する違和感がニセモノと本物を感じさせるのだという大前提がある限り、環境に対するパワー、すなわちなんらかの意味における「権力」を得て行く必要もあります。

権力と聞くと引いてしまう人もいるかと思いますが、例えば、家庭において母親の権力が強い場合など、必ずしも「社会的な意味での権力者」という意味ではない場合も多いです。

しかし、誰かや何かを強引に動かしたいわけではない、という人も多いはず。

だったら、自分が納得できる自分であるだけでいいではないか、という話もあります。

環境や関係性においての違和感は何らかの意味で消えることはない、そういう世界だから、ならば、自分が納得できる生き方をしている自分であれば、それは本当の自分と定めてもいいのではないか。

環境や関係性に対してはニセモノっぽい自分だが、自分ひとりで考えたら、自分の生き方に違和感はない、と思えたら、それはそれで何の問題もないと言えるのではないか。

というわけで、自分の生き方そのものに対して違和感や不適合はないか、という点をチェックしてみるということをしてみてください。

どこをチェックすればいいのかに関しては、何をどう選択しているか、というのがひとつの目安になると思います。

選択に関して他の記事で書いていますのでそちらもぜひ。

自分の選択のクセを観察することで、納得できる自分であるかどうかのチェックは可能です。

大きな部分で言えば、誰かの意見ではなく、誰かの顔色をうかがうようなものでもなく、自分がそうだと思ったから選択した、と言えるかどうか、この辺りが多くなればなるほど、自分が納得できる自分である割合が高くなります。

誰になんと言われても自分の選択したものを生きる、これが結局「本当の自分」みたいなものに近づく基礎的な部分だったりもしますので、この辺りをぜひ探ってみてください。

まとめると、環境や関係性に対しての違和感が「本当の自分探し」をさせる要因となる、自分が納得できる自分、自分が納得できる生き方をしていると思えれば「本当の自分」みたいなものに近づくことができる、という話でした。

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